アジアンビートカンケリキッズ
マンガノゲンバで志村志保子さんの『女の子の食卓』が取り上げられてた。前作「ブザー、シグナル ゴー ホーム」(もう絶版ぽい)は、志村志保子さんや彼女の作品自体を目的とせずに手に取ったので、最初は特に期待していなかったのだけれども、読んでみたらこれはイイ拾いものをしたなと思わさた。ブザー、シグナル…2000年に発行されたものなので、もう描いてないのかなぁと思ってたところにこの『女の子の食卓』が。
例えば、なにかを食べることで、以前にそれを食べた頃の記憶がよみがえるみたいなことは誰にでもあると思う。そりゃあ食べないと生きていけないんだから…とか、それは心理学的に定義すると…なんて言うこともできるけど、どうせだったら、食べようとして開けた口から思い出が入ったり溢れたりしてるって考えた方が面白い。食べものと一緒にそのときの気持ちを飲み込んだり、あるときには口から勝手に出て行っちゃったり。思い出とか記憶ってお腹にあるんだなぁ。
食べものもそんな風に記憶を呼び起こすものだけど、人によっては漫画でも過去を思い出したりするはず。志村志保子さんの漫画がその内のひとつだっていう人もいるんじゃないかと思う。
「思いのほかウケるし、大多数は手のひらで転がってるし、とにかくウハウハなわけよ。そんで、さてそろそろネタばらしでもするか、なんて思ってちょっとトゲのあること言ったら全然反応がない。どういうことかなぁって考えたら、やっぱり急に熱くなったものは冷めやすいんだってことに気づいたよ」
名前は忘れたけど、あるマンガのキャラに「動物を触るために自分の身体のトゲを切る」って人がいたはず。
私にとって浦沢直樹といえばMASTERキートンなんだけど、それは1話完結型なのでひとつひとつが読みやすく、その中にも巧妙なトリックや謎が仕掛けられていることとか、謎が解けるとそこに絡んでいた人の心も紐解かれ、それに登場人物と読者は一喜一憂するという、単純だけど伝わりやすいところに惹かれたから。短い話にギュッと詰まってる。
PLUTOの方はと言えば、今はまだ風呂敷を広げてるところ。それを畳むと出来上がるであろう模様、つまり読者に伝えたいことは、風呂敷を畳む行為=謎の解明とは関係性の薄いもののような気がしてる。
例えば「この人物は実はこんなやつだった」とか「このロボットは実は別の目的で創られた」とか、そういうことは複雑な物語の辻褄を合わたり、ドンデン返しをして読者を驚かせるものであっても、そこから伝えられることは微々たるもの、あるいは本当に伝えたいことじゃないのかも知れないと思う。
例えば「私はこの戦争によって1万人を死に至らしめた。しかし私が使用した武器の開発で10万人が犠牲になっていたという。私のしたことはなんて愚かな行為だったのだろう」とかいう結末の話があったとして、新武器投入による逆転だとか敵地への潜入作戦だとかの興奮は、結局「戦争は無意味。愛は偉大」みたいな最後にポンと出されるテーマとは関係ない。
だからPLUTOで描かれてる謎は意味がない、とでも言いたいのかというと、そういうことではない。大きなものにスポットを当てておきながら、最後には今まで端の方にいたホタルの光が、人によっては気づかないくらいの小さな光が重要だったんだよ、という結末になるであろうと“最初から”あえてわかるように描いているところが好きなんです、と言いたかった。
読者に期待させるための謎は自分で光ってるものじゃないから、わざわざ目立つようにスポットを当てなきゃならない。最初から主役になるべくして生まれたものは、どうしたって自分で光ってるんだから、それを隠さないでそこに居させておくってのは、巧さとはまた別の、人の良さみたいなものを感じる。
そういうものに触れるたときには、予想通りに進んだことで得る優越感のような喜びではなく、全部でひとつの話になるんだなぁという喜びが生まれる気がする。長い話のうち、ひとつもいらないものがないまま終われるとしたら、どんなに素晴らしいことだろうなぁと思う。
デスノにはテーマを掲げる必要はないなぁ。そういうのは誰も期待してないし、変なトコに落ち着いたら逆に非難されるだろうし。
DKOのロクさんがまたSABEさんのご本を読んでくだすったのですけども、アタッチメント・マンが出てこないことに消沈していらっしゃったのでスターどっきりマル秘情報タレ流しー。
SABEさんの92-93年辺りの作品集である若尻傑作選(下) 友達のいもうと(AA)若尻傑作選 アタッチメントでGO!!に「アタッチメントでGO!!」というお話が載っております。26Pに渡りアタッチメント・マンの誕生秘話が描かれているんです。以下ネタバレ。
血走信一が恋人メグとの愛を確かめんとしたその時、「女性の貞操を守る会」と名乗る怪しげなパツキンババァが現れ、メグを攫っていってしまった。信一はメグを助けるべく山に籠もり修行を開始したが、いつまで経っても超人にはなれずにいた。一年が経とうとしていたある日、滝に打たれていた信一は虎に襲われ、野生の動物の力を肌で感じる。そしてついに彼は「動物と合体」という極意に辿り着いた。
アタッチメント・マンとなった信一は愛すべき動物たちと共に組織を壊滅させ、ついにメグを取り戻した。しかし喜びも束の間、「野生動物を守る会」や「家畜同好会」らに、彼の弟妹とも言うべき動物たちを攫われてしまった。そう、信一の新たな闘いがここに始まったのだ。
以上ネタ晴れ。なぜあらすじを書いたのかというと、この若尻傑作選はあまり手に入らない気がするし、Amazonだとこれを書いてる時点でマーケットプレイスの3000円しかないので、アタッチメント・マンだけのために買うのはもったいないからだ。私は2年くらい数件の古本屋の成年コミックコーナーを覗き続けて210円で手に入れたのだ。
ちなみにこの若尻傑作選、上巻はまぁ普通の成年コミックとも言えなくもないのだけども、下巻は最近のSABEさんにつながるギャグがそこかしこに散りばめられた、まさに傑作選となっているのです。上記の「アタッチメントでGO!!」を含め、若いアベックにイタズラしたジジイがサメに襲われる「アベックと老人と海」とか、ジョーという名の中国拳法家がだん子に見初められる「あしたのドラゴン」とか、チャリダーとチャリマーの違いがわからない「どチャリマー」とかおもろいと思う。
そういえばこの下巻には、SABEさんにありがちな「殴りオチ」の話が一つしかない。上巻はと言うと4/10話くらい。殴りオチってのは女の子が「いいかんげんにしろー」とか「ふざけんなー」とキレてボカーンとやって終わること。なんか逆襲するパターンが多い。オチが思いつかなかったからとかそういうわけじゃないと思うよ。あとこの頃はまだペンギンは出てこない。ブルマは少々。
どうしよう。オチがつかない。誰か殴って。それか殴らして。バキーン。
クラスに同じ苗字の人がいるってのは、当事者としてはまぁそれほどイヤではなかったけども、さすがに4人もいると先生は大変だなーと思う。先生ってのは毎年毎年新しい顔と名前を何百と覚えなきゃならないわけで、そんな中に影の薄いのがいたりするとこれまた大変だったりするわけで。
全然関係ねぇ。
なんか読みたくなったんで読んだ。んー、4人に順番をつけるなら「小林クン≧千尋>吹雪ちゃん>おっさん」ってとこかなぁ。小林クンはどんなときも最強なので置いとくとして、千尋も小林クンと一緒なら表彰台の真ん中に乗せてやってもいいよ。
千尋がいちばん心を動かされるのは小林クンのことで、千尋がいちばん心を動かすのは小林クンのことっつーのがグッと来る。そういう意味で一番好きなのは7巻。あと根が素直すぎるところを悟られて虚を突かれるとことか。
そろそろ最終巻か・・・。買い忘れてる15巻といっしょに買うべかな。
わほーい!
ジョージが図書館で言う どこかで道が開ける ってところはもっとキャロラインの心にズシッとくるシーンのはずだべ。あと実和子ちゃんの 「ごめんなさい」じゃなくて「ありがとう」 って言葉の大切さもわかっとらん。
別モノにしなきゃいけない契約でもしたん? なんかシャツのボタンを掛け違えてる姿を見せられてる気分。
climber,penkiに続く「人シルエットシリーズ」の第3弾だ。よし、次もやったる。やったるでぇー。
アニメが放送開始したから読み返してみた。最初の方はご近所っぽさが画にも表れてるなーと思う。ご近所のアキンドの活動は楽しいフリマだけど、パラキスの活動は店舗に置くなりのビジネス寄りなとこは掲載誌(=読者層)ゆえかな。まぁジョージがフリマで売ろうなんて考えるとは思えんけど。
なんかパラキスの恋愛ってドロドロとはいかないまでも、トロトロとしたスープみたいな重みのある感じだけど、その反面、最終巻で徳森くんによって語られる実和子ちゃんの愛はいじらしくて込み上げるものがある。
イザベラもさ、いつも他の人に気を配り、ジョージのために何かしようとするその持ち得た愛の深さは並々ならぬと思う。人生を変えるきっかけを与えてくれた人だものね。しかもジョージが嫌うであろう「してあげる」とかいう押し付けがましさもなく、自分への慰みでもなく、心からそうしたいと願っているわけで。
実和子ちゃんといいイザベラといい、パラキスメンバーの女の子たち?の心は天使のようだね。嵐はあれで常識人だから心配ないと思うけど、我が道を行くジョージについていくのは大変だろうなぁ。私ゃ愛に生きるのはムリそうだわい。