アジアンビートカンケリキッズ

アジアの子供はほとんど裸足だ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

0412

[note] 朱の薔薇の人

「思いのほかウケるし、大多数は手のひらで転がってるし、とにかくウハウハなわけよ。そんで、さてそろそろネタばらしでもするか、なんて思ってちょっとトゲのあること言ったら全然反応がない。どういうことかなぁって考えたら、やっぱり急に熱くなったものは冷めやすいんだってことに気づいたよ」

名前は忘れたけど、あるマンガのキャラに「動物を触るために自分の身体のトゲを切る」って人がいたはず。

[comic] PLUTO

私にとって浦沢直樹といえばMASTERキートンなんだけど、それは1話完結型なのでひとつひとつが読みやすく、その中にも巧妙なトリックや謎が仕掛けられていることとか、謎が解けるとそこに絡んでいた人の心も紐解かれ、それに登場人物と読者は一喜一憂するという、単純だけど伝わりやすいところに惹かれたから。短い話にギュッと詰まってる。

PLUTOの方はと言えば、今はまだ風呂敷を広げてるところ。それを畳むと出来上がるであろう模様、つまり読者に伝えたいことは、風呂敷を畳む行為=謎の解明とは関係性の薄いもののような気がしてる。

例えば「この人物は実はこんなやつだった」とか「このロボットは実は別の目的で創られた」とか、そういうことは複雑な物語の辻褄を合わたり、ドンデン返しをして読者を驚かせるものであっても、そこから伝えられることは微々たるもの、あるいは本当に伝えたいことじゃないのかも知れないと思う。

例えば「私はこの戦争によって1万人を死に至らしめた。しかし私が使用した武器の開発で10万人が犠牲になっていたという。私のしたことはなんて愚かな行為だったのだろう」とかいう結末の話があったとして、新武器投入による逆転だとか敵地への潜入作戦だとかの興奮は、結局「戦争は無意味。愛は偉大」みたいな最後にポンと出されるテーマとは関係ない。

だからPLUTOで描かれてる謎は意味がない、とでも言いたいのかというと、そういうことではない。大きなものにスポットを当てておきながら、最後には今まで端の方にいたホタルの光が、人によっては気づかないくらいの小さな光が重要だったんだよ、という結末になるであろうと“最初から”あえてわかるように描いているところが好きなんです、と言いたかった。

読者に期待させるための謎は自分で光ってるものじゃないから、わざわざ目立つようにスポットを当てなきゃならない。最初から主役になるべくして生まれたものは、どうしたって自分で光ってるんだから、それを隠さないでそこに居させておくってのは、巧さとはまた別の、人の良さみたいなものを感じる。

そういうものに触れるたときには、予想通りに進んだことで得る優越感のような喜びではなく、全部でひとつの話になるんだなぁという喜びが生まれる気がする。長い話のうち、ひとつもいらないものがないまま終われるとしたら、どんなに素晴らしいことだろうなぁと思う。

PLUTO 3

PLUTO(3)

  • 作者 : 浦沢直樹 手塚治虫
  • 出版社/メーカー : 小学館
  • 発売日 : 2006/03/30
  • メディア : コミック

でも

デスノにはテーマを掲げる必要はないなぁ。そういうのは誰も期待してないし、変なトコに落ち着いたら逆に非難されるだろうし。

スポンサーサイト
  1. 2006/04/12(水) 02:20:37|
  2. comic
  3. | コメント:0

コメント

<%template_post\comment>


管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。